なぜSNSでは「承認欲求」を人は求めてしまうのか?

こんにちは。Webメディア「DopeZine」、写真コミュニティ「DopeZineLab」を運営している万城目瞬<0q_xney>です。
SNSを見ていると、今のSNSの使い方は昔とは変化しています。特に自分の承認欲求を満たすことを目的としている人が多くなっていると感じています。
この記事で言いたいことを先に答えてしまうと、「承認欲求」を求めずに、自分が何に貢献できたかの実績ベースで自己評価をしようということになります。
本記事では、なぜその答えに至ったか、なぜSNSではなんでもない人でも「承認欲求」を求めてしまうのかについて書いていきます。
目次
SNSで承認欲求は肥大化する?

SNSを使うことで承認欲求は肥大化するのでしょうか?
この答えは「Yes」です。人にもよりますが、多くの人の場合、承認欲求が肥大化します。
なぜ肥大化するのか
この答えは「いいね」や「コメント」など、多くの人から「褒めてもらえる」体験を出来るからですね。
現実では面と向かって褒められる経験って少ないですよね。おそらく日本人であれば自分で相手を褒めたり、褒められたりする経験は他の国に比べると少ない傾向にあると言われています。
しかし、SNSであれば相手の顔が見えないため、褒めることが容易または、褒めることで優位性を保ちたい人が褒めてくれます。
現実では褒められず、承認されないのに、SNSでは顔の知らない人たちが褒めてくれる。この環境が承認欲求肥大化の原因です。
結局表面上では褒めている側も褒められている側も自分のためにやっています。ここにはなにも生まれません。
自己肯定感が低い

自己肯定感の低さは日本人の謙虚さや身内を卑下してしまうことからも現れているといえます。
例えば、親が子供が他人に紹介するときにも、うちの子はこれに興味があってこんなことが出来るよといった紹介する人は少ないらしいです。
多くの場合、「うちの子はいつもダメなのよ」って言った具合に身内を下げて人に紹介してしまいます。
子供というのは、親や周りの人のことは言っている言葉が理解できずとも感覚としては感じているらしいです。
自己肯定感が低い原因は一概には言えませんが、育った環境に起因していることが多いです。
自己肯定感が低ければ低いほど、相手から承認を受けたときに依存してしまう原因につながる可能性が高いのです。
賞賛とストレス

賞賛とストレスと定義しましたが、詳しく説明すると以下になります。
・賞賛 :人から自分や自分のコンテンツを褒められること
・ストレス:人から反応が無くなったり、嫌われる恐怖
承認欲求を分解すると、この2種類に分類出来ます。
これらは結局のところ、他人を基準とした評価なんですよね。自分が納得するかではなく、他人に依存した感情にすぎないわけです。
賞賛だけを目的とするとどうなるのか
賞賛を受けるために、自分のコンテンツに打ち込むのは悪いことではありません。
他人から見てもらえることで、コンテンツの品質自体は上がる可能性は高いからです。
しかし、その作品は自分が納得して作った自分ならではの作品になっているのでしょうか。
他人のニーズに合わせて作った、消費者のためのオーダーメイドなのかもしれません。
ビジネスであるならそれも正解でしょう。顧客に合わせたものを提供するのは当たり前です。
逆に自分の作品を作るクリエイターとするならば、違うのかもしれません。それは、自分らしさが失われていくからです。
マーケットイン・プロダクトアウトというマーケティングにおける考え方があります。商品ありきでマーケティングするのか、顧客に合わせてマーケティングするのかということです。
SNSを使用してクリエイター活動を行うことはこのマーケットイン・プロダクトアウトのバランスこそが必須だと言えます。
ストレスに侵されると崩壊する

賞賛ではなく、ストレスに依存するとどうなるのでしょうか?
「人から反応が無くなったり、嫌われる恐怖」と定義しましたが、人に嫌われたくないからSNS受けするものを作りつづけていかざるを得なくなってしまうことです。
賞賛であればまだ、自分のコンテンツを作っていますし、品質も方向性が違っても向上自体はしていきます。
しかし、ストレスの承認欲求である場合、あらぬ方向へ力が向かってしまい、エスカレートしていく危険性があります。
炎上系のコンテンツはストレスの承認欲求の最たるものだと言えます。
炎上することにより、様々な人から構ってもらえます。しかし、炎上が沈下すればその人自体に価値はないため、反応がなくなります。
また構ってもらいたい人は過激なことを繰り返して、最終的にSNSからいなくなってしまうんですね。一度盛り上がってしまった承認欲求は歯止めが効かなくなってしまうということです。
炎上以外にも、真面目にコンテンツを出していても飽きられたらどうしようと思い、賞賛を得る以上に、他人のためにコンテンツをつくり続けてしまうこともざらです。
そういった人は結局自分が何をしたいかわからなくなり、「SNSをやるのがしんどくなった」「自分がわからなくなった」のような言葉を残して、SNSから消えてしまうのです。
自分が納得できるものを生み出す

ではどうすればよいのか。
本記事の最初で答えを書いた「承認欲求」を求めずに、自分が何に貢献できたかの実績ベースで自己評価をしようということに繋がります。
承認欲求を求めずに、自分が何に貢献をしたのかを考えて、自己評価をすることです。
承認欲求を求めないと言っても、数字を疎かにするというわけでなく、noteの場合PV数、各SNSの場合、フォロワー数やいいね数も基準にしても良いでしょう。
しかし、それはあくまで数字だということを認識することです。自分自身の評価ではありません。
最も重要なのは、自分がその作品を作って納得できたか、自分が楽しめたかを自分で判断下すことです。
そこには他人の評価はなくて、自分と対峙するだけです。
SNS運用はチューニング
SNS運用も必須スキルであると考えていますが、私はSNS運用については「SNS運用は自分のスキルを各プラットフォームにチューニングするもの」という考え方をしています。
各プラットフォームでは特徴があるので、例えば自分が作っている写真でも、Twitterで合うもの、Instagramで合うもの、写真展で合うものでは違います。
自分の作品の軸はぶらさずに作って、各プラットフォームではそれぞれに合った形で発表していけばいいのです。
Twitterでは4枚組でキャプションをつけたほうがいいとかハッシュタグはダメとか、Instagramではタグの関連性を考えたりとかあります。
でもそれって写真には関係ないところの話なので、写真自体に手を加える必要はあんまりなくて、写真をプラットフォームに寄せることはあんまり考えなくていいと考えています。
フォロワーとスキルは比例しない

必ずしもフォロワー数とスキルは比例することはありません。
フォロワー数が増えるというのは、3つぐらいパターンがあって、プラットフォームと合っているパターン、たまたまバズったパターン、プラットフォームを攻略するパターンがあります。
写真がうまくても、SNSでフォロワー数が少ない人なんてザラにいますし、逆に写真が下手でもフォロワー数が多い人もいます。
今ではフォロワーを増やす戦略も様々なところでみかけますし、実践していて結果を出している人もいます。
その人達の写真や作品が必ずしも優れているわけではないのです。ただ戦略を行っているだけでSNSなんてものは伸びていきます。
「フォロワーの数≠その人の力」ではないのは理解しておきましょう。
クリエイターであるならば、SNS運用することも必要ですが、自分のスキルの研鑽を第一に行い、そのスキルを知ってもらうためにSNSを運用するという流れが自然です。
スキルがないのにフォロワーが多くても、中身のない何者でもないものに成り果ててしまうことでしょう。
最後に

SNSは誰しもの承認欲求を肥大化させます。
「承認欲求」を求めずに、自分が何に貢献できたかの実績ベースで自己評価をしましょう。
貢献といっても必ずしも社会貢献をしろというわけではありません。
写真であれば、自分なりの新しいモノを生み出せたなと納得できれば、それは貢献です。小さな積み重ねがいずれ大きな実績を生むことが出来ます。
私が運営しているDopeZineも最初は何もないところから始めましたが、写真コミュニティ DopeZineLabのメンバーは200人を超え、写真界隈に影響を少なからず与えられているのかなとも考えています。
これは承認欲求ベースではなく、自分たちの行っているモノの価値を更新し続けいるからです。誰かに認めてもらいたいという原動力ではなく、自分が何をしたら面白いことが出来るのか、それを考えた結果、得られた実績です。
現代は誰もが「何者か」になりたがっていますが、何者かになるためにはスキルが必要です。
スキルがあってこそ、人がついてきます。最初は認められないこともあるかもしれませんが、地力をつけるには最適な環境です。
スキルを身に付けたい、SNS運用の最適な方法を知りたい、仲間がほしい悩みを抱えている方は、私たちが運営している写真コミュニティ「DopeZineLab」のメンバーになれば、様々な知識や経験を持ったフォトグラファーたちが相談に乗ってくれます。迷った場合は参加してみると良いでしょう。
ではまた。

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